トップへ


JA8302(B−727)の軌
                    
2016年9月8日
                  ASPEL 生産工学研究所所
                        坂井田 晃 

  それはまだ私が大学2年生の終り頃に起った。
   空機事故だった。その当時まさか2年後わずかではあっても、この事故調査
  にかかわることはもちろん考えもしなかった。ただマスコミを通じて大変な事
  故だとは知っていた。

       事故は1966年2月4日に東京の羽田沖で発生した。JA8302は北海
  道札幌発であり有名な札幌雪祭りの見物客などが多かったと聞いている。

 「long base now」それがJA8302富塚副操縦士からの最後の言葉になってしまっ
  た。
 

     long baseは航空機が空港へ向い着陸するための進入経路を意味しており、
  それまでは順調に飛行していたと思われます。

  私は4年生からの研究室配属では航空工学を希望していた。空気の流れに徹
  底して逆わない航空機の美しさに魅せられていたこともあり、ただ担当教授が
  厳しい人だとは聞いていた。

  研究室にあった押込型の煙風洞の白い流線の美しさは今でも忘れていない。

  担当教授がこの航空機事故の調査団員だったことが私がそのほんの一部の
  実験をテーマとして与えられたいきさつであった。

     4年生の後半から卒業式を終え岐阜県にある就職先(トヨタグループの企業)
  に入社する日の前々日まで明治の研究室にいて実験の引継ぎを後輩に行った。
  そして入社式前日、岐阜の自宅へもどり翌日から社会人の1日目を迎えた。振
  り返れば、ただあわただしさだけが思い出される。

  私は未だにもっともらしい卒業論文を出さないままであったが担当教授によ
  り
A新聞社から出版された「最後の30秒」という書籍に私の行ったことが一
  部記載されており、それが多分卒論の代わりをしてくれたものと勝手に解釈し
  ている。幸いにも卒業証明は今もしてくれるので多分卒業したのだろうと思っ
  ている。卒業証書らしきものも手元にはない。

  航空工学研究室から少し(50メートル位)はなれたところに図書館があり、そ
  の横に防火用水が有ったことも実験を行う条件として恵まれていた。

  川崎市生田の田舎の校舎は寒くて研究室へ着くと、まず用水の氷を割ること
  が日課だった。これを忘れると大変なことになったことも忘れられない。

  もともと煙風洞の流線に魅せられていたのだが、それは担当をはずれ、もっ
  ぱら寒い冬にかけて格闘することとなってしまった。

  「JA8302」のNO.3エンジンに何があったのかよく判らなかったが、どう
  してそうなるのか教授から大変尊い話を聞いたことも忘れてはいない。私なり
  にそれを証明することは大変な作業ではあったが、この事故で亡くなった多く
  の人達のことを考えると再発させてはならないということも少しは思った。こ
  の「最後の30秒」という書籍には私なりに考えてみたデータの整理の方法も
  教授は殆ど変えることなく取り上げてくれたことが、今日、私の仕事の支えと
  なってくれたことに今だに感謝している。

  運輸省の人もいろいろ世話をしてくれたが今でも多くある政府の専門委員会
  の在り方はどうも疑問が残る。

   B-727は一度だけ客として利用したことがある。それはタイのバンコックAP
   
からビルマのラングーンI.A(当時の名称)へ入るときにであった。

  ラングーンI.A付近は、着陸時雨がひどくGo-arroundを2回繰り返して3度目
  にうまく着陸したことを覚えている。このパイロットは多分この気候になれて
  いて
Go-arround も慣れていてうまくやったことが印象的だった。Touch-down
  るかどうかでエンジンの
Power-upをタイミングよく行いなれたものだと心の中
  で思っていた。

  この卒論研究のテーマについてはT大学の航空学科の先生方も含め多くの人
  たちがかかわったことでもあった。

  実験条件などを計測する方法も本当によく考えられた方法で大学の先生って
  何でこんなにやりにくい方法を選んで私に教えたのか今になってやっと判った
  様な気がする。

  それはあくまで事故の調査ではなく私の卒業研究の教材に適した範囲だった
  ことでもあった。

  教授は事故調の結論をまとめる前に、この仕事から自己都合で退任したが、
  その理由も私には理解できた。

  なぜか出張(国内)では航空会社ANAを使うことが多いが他の航空会社や機
  材を嫌ってのことではない。

  この卒業研究のテーマを通じていろいろ学んだことは今でも科学技術の在り
  方を私に問いかけてくる様な気がします。

  今も、多くの疑問がありますが、この経験から教えられた事が多くの判断基
  準になっていることもよく有り、このめぐりあいこそ科学技術が何であるかそ
  の目的も含め今の私の生き方の支えになっていることも事実である。
JA8302
  ら教えてもらったことは何にも変えることができない。

  この件、詳しく知られたい方々は「最後の30秒」(A新聞社出版)を読ま
  れることをお勧めします。

  あらゆる事故などの調査目的には2つの内容があります。
  (1)当該事故の再発防止
  
(2)事故を調査する過程で判った問題点、疑問を(直接事故に関係ないこと
     であっても)
予め対策しておくこと 

  この2つが目的として求められることを決して忘れない様にすることが大切な
  ことであることを理解してほしい。

  一般的には(1)を目的とすることが多いのですが(1)と(2)は同じレ
  ベルで重要なこととして捉えておくことが必要です。

  最後に、JA8302の事故で亡くなられた乗客及びANAの乗務員の方々には、空
  の安全はもとより、人にとってあらゆる技術の健全な成長をお約束し、心より
  ご冥福をお祈りいたします。

               ご参考まで

inserted by FC2 system