東京築地市場と豊洲市場の両方を使わないのが
 長期視点でベストである

                               2017年 ASPEL 生産工学研究所  青山 未来

多くの人、とりわけ政治家や公務員の人々に言えるのは、もう少し先見性を持ってほしい事である。

築地の寿命からくる再生の必要性は判るが、それが豊洲へ移転することという当初の発想・企画が全てを狂わせ、今の結果になっている。

現知事も、よく判らないから、さらに良く判らない人を集め、グループに結論を出させ、知事のポジションを守ろうとする典型的な自己保身。このままでは、このプロジェクトは、将来の東京にとって良いものにはなり得ない。

この築地の閉鎖(再生も含)は、次の食材・食品流通の新しい方法を求められている。またそれは、この仕事に何らかの形で関係する人々にとっても、消費する人々にとっても、より良い方法でなければならない。

また市場がなくても、目的を達成する方法は多くあり、そこにメスを入れるのが、将来へのやっておかねばならない作業である。

多くの政治家,関係者(公務員・市場職員等)は、なぜ市場というところで、まとめて処理をする発想になるのかが判らない。

東京には、スーパー,魚屋,八百屋等々がたくさんある。食材(食品)は、生産者により、近い所へ直接入らないのか。なぜ市場でまとめてやらねばならないか、ステークホルダーの都合がもっと良いものが安く買えるものを高くしてしまっている。

それは消費者の役に立っていない。

こう言えば、市場で働く人はどうしてくれるのかと言いたい方々も多いが、それぞれの店に就職すればいいのである。こうして築地の暖簾は後世へ引き継がれてゆくのである。

集約型から分散型へ、より消費者に近づく事を通じて、今回のドタバタ劇を見ると、東京がやっていることは、他へ良い波及をすることはありえない。

政治家の都合(欲)である物事が進んでいってしまう。その根底にあるものは、「欲望と精神の荒廃」以外の何物でもない。

 




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