トヨタとそのグループとは......
―――― 「HIMEDIC(高規格救急車)」生産準備より――――


初代HIMEDIC

ここでは私、「ASPEL生産工学研究所」の代表が、これまでに拘わりました実際のお話を中心に皆様のご参考になれば幸いと思い作成したリポートですので予めご理解いただきたいと存じます。以後は代表の話を中心に作成しております。あえて若名を使わず、また当時の社名を一部そのまま表記しておりますことをお許しいただきたくお願いします。
世の中の急病患者の救命率を上げるため国が救急救命士の制度の導入したことに伴い主要自動車メーカー(一部を除き)は高規格救急車(ドクターカーみたいな車両)の開発・生産化が急務となりました。
トヨタもトップメーカーとして、この車両を早急に生産化することになりました。

私は当時トヨタグループとしては最も小さい企業(岐阜車体工業)の生産技術部のリーダーを担当しておりました。当社は生産の主力が当時は小型トラック(今はハイエース)でありましたが、当時の社長が熱心にトヨタへ働きかけ、その生産化(車体部分のみ)に到りました。もともと、これまでの救急車はトヨタグループのC−自動車が生産しており、私も今思えば非常識ではあったかと思いましたが、C−自動車の生産ラインを見せてもらい、また、役員や管理職の方々から貴重なアドバイスもいただきました。すでにその時には、C自動車のトップは救急車の殆どが当社に移管されることが解っていました。私は自らの無神経な行動もさることながら、その上、C自動車の役員に「半分位は高規格に変わると思いますよ」と平気で申し上げましたが、現実はそうではなかった。こんな私の言動は他の自動車メーカーグループの間で気軽に出来るものか、言えるものか、良く判らないが、トヨタ及びそのボディメーカーグループに甘えていた私にとっては、後々考えると大きな反省材料となったことは当然のことであった
またトヨタの製品企画室(当時の組織名)主査(プロジェクトリーダー)から出された車両の要求仕様は既存の車体をベースとしそれを高規格救急車の要求条件に合う形に改造することは当然コストの面だけでも基本前提ではあった。当時の車体で高規格救急車として引当できる車体となれば、H−Aのロング系以外に選択肢はなかったので、当然ながら我々もこの車体をどう改造するかを中心に品質、コスト、リードタイムなどから基本計画へと落し込むことを進めた。
航空機も自動車も余り違いはないが胴体を伸ばす(extension)ことはよくやられているが、幅方向(wide方向)への改造はあまり行いません。しかし今度の高規格救急車では長さ、幅、高さなどを拡大することになりました。車体の延長や拡幅方法についてはどの方法が最も合理性があるのか悩んでおりました。トヨタの製企室(Y主担当)も特に原価企画目標もあり、コストの低減案について幅広く各費目にわたり資料も用いて具体的なお話や提案をされその中からも採用をさせていただきました内容を含め要求コストの達成に役立たせていただきました。トヨタのプロジェクトリーダや多くの関係者の真剣な取り組みにメーカーの立場として頭が下がった。
車体の拡張のためフロント及びバックパネルの外板は中間材をつなぐことによる方法が品質や技術の面で対応困難となり金型を2型新設しプレス成形による工法とし、絞成形は後工程のレーザー加工や手作業も可能とする工程計画を行った。次はこの外板2種類(フロント及びバック)の絞成形のコストを下げるかということになり専門メーカーとも連携し液圧(水圧)成形により金型投資を下げることを採用し、金型製作と成形加工の対応に入った。当社はもちろん液圧成形の技術もなく大手金型メーカーにトライ用の水圧プレスがあったので試作を含め発注に至った。金型については、すでにかなり実績のあるメーカーであったことでそれ程心配はしなかったが2000tクラスの水圧プレス機を持ち成形できるメーカーをトヨタグループの中でさがした。幸い我々がお付き合いしていた協豊会のグループでT機工に装置があり加工されていることが判り早速会ってお願いをしてみた。もっとも前提が少量生産ということとモデルの寿命もありT機工としてはあまり前向きになれないことは十分判っていてのお願いだった。最終的にはトヨタとそのグループの車とその車の価値も含めての判断であったこともありは引き受けてもらえたことに今だに感謝している
もしその判断がなければ私としてはプロジェクトを進める道を持たなかったことは言うまでもない。T機工への話を終え、帰路車を運転しながらこれで何とかなるとは思っていたが、その数日後、製品企画室(Y主担当)から連絡が入り、実は彼も液圧成形を行うことはご存知であったが話の内容はA車体が大型液圧プレスを最近導入されY主担当からA車体に成形を頼んでおいたとの事であった。私としてはA車体は多くの事でお付き合いも十分あり、よく知ったトヨタグループのボディメーカーだった。それより、そこまで動いてくれた製企室のY主担当へ感謝するとともにHIMEDICのプロジェクトに対するトヨタとしての責任感の強さをつくづく認識させられることになった。私はY主担当にその旨説明しA車体への発注はせずT機工での生産を決断した。その理由は私の中だけにこれからも留めたい。この時、トヨタと部品メーカーを含むグループには会社の垣根を取り去る勇気と結束の強さを痛感させられることになりました
しかし私には、まだまだ多くの問題が山積していた。車体の拡幅にはまだルーフ(屋根)があった。当初は板金加工でハイルーフを製作する方法も検討してみた。
幸い小型トラックのデッキ(荷台)をFRP材で対応した塩害地(漁業関係など)向の製品があり、木型さえ出来ればあとはサイドメンバー等との結合が可能であればと判断し生産準備に入った。また車体のASSEMBLY(組立)には大手トヨタグループのT車体からHA車の試作治具をいただいてそれを改造、整備し、サイメン、フロント、リヤー、各パーツのSUB-ASSEMBLYをすることでT車体の生技から快諾を得ることができた。T車体は今、私がいました岐阜車体を傘下に入れたグループ形態になっている。
HIMEDICの車体はボディの総組立のみ社内とし、他は近くの外注へ頼んで対応した。正直を言えばSUB-ASSYをする場所がどうしても社内にはなかったからである。T車体から(W)関係の人の援助を受けながら試作治具の改修を行い、当社に近い外注先で生産を行いSUB-ASSYで納入してもらった。この外注生産は部下だった課長が全てやってくれたが昨年末若くして他界してしまったことを私はいまだに残念に思っている。彼が退職したら私の事業を手伝ってくれることを勝手に期待していた。また(A) (組立工程)もT車体から工作図を始め必要な情報をもらいベース車のラインを十分見せていただいた。
T車体の各生技には本当に世話になった。前にもお話をしましたが岐阜車体は今T車体の傘下でHAの生産をさせてもらっており会社も大きくなり経営的にも良い方向へ向かっていると感じた。HIMEDICの生産化にはトヨタの各部署はもとよりグループの方々から数え切れない程支援を受け、力も金もない我々をサポートしてくれた。これはほんの一部の例であり、私をエンジニアとして成長させてくれた大切な経験の1つであった。
このHIMEDICがどれ程社会に貢献できているのが知る旨もないが私にとっては見ることが少なくなった初代HIMEDICを見ると生産準備の苦労が思い出され、多くの支援をしてくれた方々には本当に心からお礼をどれだけしても足りないと思う。トヨタとそのグループの持つ、目には見えない結束力の強さを知ることができたことがこのプロジェクトで得た貴重な経験となった。
岐阜車体を退職して20年をすぎた今はじめてトヨタやそのグループが言い方はよくないが他にはない異常な会社であり今だに同じ様な会社に会ったことは全くない。
何が他社になくトヨタにあるのかを深くたどれば、それは「人」にあることが判ったのも事実である。
今また大手企業のS社、T社、S社や同業のM自動車が問題をかかえていることを聞くがいずれにしても再生することを期待している。それ程日本の物づくりがヤワで簡単に終了することはなく、これからも国を支える産業分野であり続けることを信じている。
このHIMEDICの活用方法として、私から使ってほしい方々にお願いとしておきます。
このHIMEDICは今、消防署の配備が対応するのに最適と思われてきました。救急救命士の方々も大切です。またこれからは大きい病院にも所有していただき、災害のあったところやその他必要なところへ、その病院のドクターが予め乗り込んで患者のいるところへ向かい、その中で応急処置が出来る様になり、病院へ患者を連れて行って、引き続き治療をしてくれる日はいつなのかとも思っている。そうすれば、1つの例として、Doctor carが行ける道路が必要となり、安全な道路も増えてくる。
この11つが社会の進歩に合わせて変化するのでは。そしてさらに救命率を上げる具体的な取り組みに期待したい。

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