経歴とそのエピソード,これまでの主なコンサルティング企業紹介
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<代表者略歴>
昭和40年〜 岐阜県立大垣工業高校機械科卒業
昭和44年〜 明治大学工学部機械工学科を4年で卒業。
(皆様よくご存知のビートたけしさんと同学科,同期でした)
好きな航空工学(山名研究室)を専攻しましたが、航空会社への就職を諦めて、
田舎へもどり、同年トヨタボディーメーカー(完成車メーカー)では小さい岐阜車体
に就職。その後、同社で品質保証や企画を転々とし、生産技術部で永く務めまし
た。私なりの人生観,職業観もあり、早期退職(50才少し前)。コンサルティング
業を中心に、海外も含め、多くの企業の方々にお会いし、中にはご迷惑をかけた
こともありました。またその間、トヨタの方々をはじめ、多くの人に学びました。
その後、これらの仕事やベンチャー企業の立上げ支援等も経験させてもらい、
此度、念願の起業に至りました。
平成25年7月 「生産工学研究所」を個人企業として設立し、本日に至っております。この社名
は、私がお客様に、より優れた物や技術,サービスを生み出し、ご提案するという
広い意味も含め、お解りにくいですが、気持ちを込めて決めました。
1974年 トヨタ自動車の、今は亡き大野耐一さん(トヨタ元副社長)からトヨタ方式の指導を受
けました。その時の笑い話が少しあります。
・指導時、こちらが予定したルートで案内してもあちこちに行き、イタイ所をきっちり
指摘される。ごまかしはきかなかった。
・指導に対する返事で「わかりました」というと「やらずして何が判る!!」とまた叱られ
「すぐやります」という回答しかなかった。 等々…
大野さんは声が小さいので、顔の近くまで行き、耳をすまして内容を聞いた。また、
大野さんが「トヨタ方式」の書籍を出版した時、「これは世に出していいのですか?」
と言ったら、「心配しなくてもあの本を読んでも絶対できない様に肝心なところは書
いてない」と言われ、今それが少しわかってきた様です。
1976年 3年位トヨタグループの「トヨタ生産方式自主研究会」通称「自主研」に参加し、いろ
〜 いろなグループ会社の取組みを学びました。現在トヨタの副会長の張
富士夫さんの
1979年 やさしい説法も味がありました。(当時張さんは生産調査室主査でした)
1980年 トヨタがグループ(1次)の経営能力をレベルアップするため、「トヨタ品質管理賞」を
〜 設定。私も会社の事務局の1人としていろいろ苦労しましたが、何とかなりました。
1983年 TOPや管理職を動かすため、何回も芝居をすることが大変でしたが、少しは達成感
も味わうことが出来ました。TQM(C)の本質を学ぶことができました。
1984年 少し落ち着いて仕事をしたいと思い、当時の専務にお願いし、生産技術部へ配属
〜 させてもらい、部長で退職するまで、主に車のモデルチェンジのための生産準備
1995年 や工場建設,金型設備の内製化等、本当に貧乏会社でしたが、知恵もお金も使
い、尊い経験でした。トヨタ及びグループの役員や管理職にもいろいろと学ばせて
もらいましたことが私の支えでもありました。
1996年 コンサルティング業や企業支援を行い、本日に至っております。私の考え方の中
〜 に、地元中小企業の支援ということもあり、次の様な企業(全社ではありませんが)
現在 とお付き合いをしました。
永くお付き合いした会社の中には、20年を越えるところも何社かありました。
<これまでの主な指導先会社名(敬称略)>
大手企業
・矢崎総業グループ(矢崎部品生技室 熊本工機 大浜工場等)
・三和シャッター(足利工場,垂井工場)
中小企業(県内)
・榎本BeA ・ナベヤバイテック ・高山ラーメン(老田屋) ・森白製菓 ・松田産業(家具)
・カネコ小兵(陶器) ・東栄工業 ・深見製作所 ・加藤製作所 ・CCI 他
県外
・新西工業(福岡) ・サンエス(広島) ・東洋工機 ・タカギセイコー ・日本ホイスト
・滝沢鉄工 ・富士機工 ・アイセロ化学 他
団体等
・愛媛県中小企業団体中央会 ・周桑鉄工業協同組合 ・長野県中小企業団体中央会
・岐阜県生活技術研究所(旧岐阜県工芸試験場)